一宮の文化財

No. 14 町指定 文化財 その他
                                         
   
     
長い歴史の中で、人々の暮らしに根付いた時代の証人
   


               い ち の み や      し ろ  と り で あ と
第1章
 
一宮に残る城(砦)跡

一宮に残る城(砦)跡

 町内に戦国時代の城(砦)として名前が伝わるもの のうち、遺構が明確なものに足山田城跡・一宮砦跡が あります。
 足山田城跡は、地元で城山と呼ばれる小高い山の 頂付近にありますが、今ではゴルフ場の中となっています。 尾根を掘り割った「馬かくし」といわれる堀切などの遺 構が残されています。武田方の城とされ、元亀・天正の 初年頃(15701580頃)につくられたと考えられています。
 一宮砦跡は、砥魔神社里宮のすぐ南の竹薮の中に あり、主部を囲む土塁が良好に残っています。『浅野 文庫絵図』によると範囲はさらに広かったようです。永 7年(1564)の今川との戦いは、「家康の後詰」として 伝わっています。

                                                 ろ く ろ う つ じ             
第2章 六郎辻のいわれ

 上長山に「六郎辻」という地名が残っています。これ は戦国時代に足山田城にいたという、秋山六郎の名に 因んだものです。
 足山田城は武田方の城で、秋山新九郎を城主とし ていました。信玄が野田城で負傷して甲州へ向かうと、 家康に攻略され陥落しましたが、新九郎の家臣だった 六郎だけが生き残り、長山村に逃れ住むこととなりました。
 地元の人々は「城山くずれ」と呼びましたが、やがて 打ち解け、長篠合戦の時まで過ごしました。後世、村人 らは彼を偲んで墓を建てて供養し、大正8年には墓前 に「烈士秋山六郎の碑」がつくられました。

                                                      と  う  じ  ょ  う       ご   ば   ん   し   ょ   あ   と
第3章 
東上御番所跡

 江戸時代初めの寛永20年頃(1643)、今の東上の豊 川沿いに設けられた、幕府の番所です。当時、豊川や 街道を往き来した産物に税金を課すことと、通行人を 取り締まる治安維持を主な目的としていました。
 往来した品目は木材を中心とし、鋤の柄などの加工 品や石臼などもあり、十分ノーを最高にした税率が品 日ごとに決まっていました。このため番所は「分一番所」 と呼ばれることもありました。
 街道が豊川に最も接近するこの場所は、水陸両方 に目が届く交通の要所であったことが分かります。
 現在、豊川の堤防裾に標柱が建てられていますが、 これは堤防改修工事の際に移設されたもので、本来の 御番所跡地ではありません。元の位置は今では河川 敷となっています。

                                      い な か い ど う
第4章 
町内を走る伊那街道

町内を走る伊那街道

 伊那街道は江戸時代には「信州往還」・「秋葉道」・「鳳 来寺道」などと呼ばれていましたが、明治9年の太政 官達によって正式な名称として決定された、「宝飯郡 小坂井村より長野県伊那郡界に至る」道です。
 一宮には宮前から入り、今の砥鹿神社の中を通過し、 役場付近を通って東部小学校前に至ります。この間に は常夜灯や道標が残されています。北岡を過ぎて豊 川沿いに降り、今の江島橋をくぐったあたりに置かれ たのが東上御番所でした。町内ではこのまま川沿いに 新城市へと続いていました。
 たび重なる道路改良により、昔の街道の面影はほと んど見られなくなりましたが、点在する石造物や墓碑な どが、往時を偲ばせています。

 

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