一宮の歴史

 No. 2 一宮町の古墳時代                                                

   
     
長い歴史の中で、人々の暮らしに根付いた時代の証人
   

 

第1章 はじめに

 一宮町には、これまでに判明しているだけで約340基もの古墳があります。古墳の数だけでは県下の市町村で第2位ですが、面積を考慮すれば、その密度は大変高くなることがわかります。 これら多くの古墳は、無秩序につくられている訳ではありません。その立地や分布、さらに各古墳の規模や形といったさまざまな情報は、私たちに多くのことを教えてくれています。

第2章 前・中期の古墳

5世紀末から6世紀初頭の須恵器 (一部豊川市蔵) 

 一宮町の古墳の中で、前期に属すると推測されているものもありますが、確実性には欠けています。中期になると、足山田にあった小金古墳を始めとして、いくつかの例が知られています。裏面の地図を注意して見ると、豊川の右岸ではいずれも台地の先端に築かれたものあることがわかります。さらに、共通する特徴として、比較的規模が大きいことや、後期古墳のように多くの古墳が群集しない点をあげることもできます。ただ残念なことに、個々の古墳の正確な年代は十分明らかとなっていません。 

第3章 後期の古墳


6世紀前葉ころの須恵器

 圧倒的多数を占める後期古墳は、そのほとんどが群を形成している一方で、2〜3基のみが集まったものも少なくありません。また、これらの古墳(群)の立地は、なだらかな扇状地上や、やや急峻な山麓斜面、あるいは比較的標高の高い尾根上などと、必ずしも一様ではありません。このように、一見よく似た後期古墳も、詳細に観察すればさまざまな違いも認められます。このことは、中央政権との直接的な関係から古墳の造営が拡大した、という大枠では一致するものの、実際にこの地域に古墳をつくった集団の勢力や性格は多様であった、と理解することも可能でしょう。

第4章 後期の古墳年代


6世紀後葉ころの須恵器

 一宮町の後期古墳は、少数の例外を除けば、横穴式石室を埋葬施設としています。そこには、「須恵器」と呼ぶ焼き物が頻繁に副葬されているため、これら須恵器の年代から古墳の年代が導かれてきました。粘土でつくる焼き物は可塑性に富み、形や技法の変化がよく年代を反映するからです。写真には、便宜的に4段階に分けた須恵器の変化を紹介しています。同じ器種でも大きな違いがみられます。実年代では、およそ5世紀末から7世紀後葉までのものとなっています。  

第5章 古墳年代の遺跡



7世紀中葉から後葉ころの須恵器

 ところで、これほど多くの古墳がありながら、同時代に人々が生活したであろう集落遺跡は、意外なほど発見されていません。その中で、東上の宮沢遺跡は、7世紀の竪穴住居跡が確認された貴重な例となっています。300もの後期古墳を築いた主たちは、どこに居をかまえていたのでしょうか。今後の大きな研究課題のひとつです。

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